最近、地球環境保護の問題が毎日のように報道されています。良い事だと思う反面、微妙に「?」と思う事もあり妄想を広げて考えてみようと思った。
結論を最初に言ってしまうと、人間として暮らしやすい(生活ができる)とは何なのか?いう議論がなんもされていないのは問題があるように思うのだ。
私が感じるだけかも知れないが、木を植林して森を増やすと空気が綺麗(浄化される)になると思ってる人が多いように感じる。大体人間の吐き出すもの(吐いた息)である「二酸化炭素」を汚物のように、人間の吸う「酸素」を綺麗なもの清純なものという事自体に疑問がある。
木がどのような作用をしているかと言えば二酸化炭素を吸って炭素分を吸着して酸素だけを排出するという事をやって、木の身体というべき葉や幹を大きくしているのだ。
まず、このニュアンスの違いがなんとなく腑に落ちない。
まずはこちらを。
生物が爆発的に増えた5億5千万年前からの気温の変化をみると現在は第二氷河期に当たっており、生物が繁栄した時期の気温は現在より15℃程度高かったと考えられる。
これを見ると、人間に最適な温度って今の状況が正しいのか?という気になってくる。例えとしてだが、多くの人の楽園のイメージが南国なのはなぜだろうか?今の温度よりも多少高い方がよいのではないだろうか?
上記のサイトの下の方のグラフを見ても分かるように氷河期のサイクルは大体1万年ぐらいの周期で行っているらしい。今はその頂点辺りから氷河期に移りつつある状況。これが人為的に温度が上げなければいけない場合や、現在騒がれている温暖化問題のように逆に温度を氷河期の方向に向かわせるにしても、1万年まえからの状況に戻すだけの覚悟が必要だと思われる。
つまり、1万年前の人類から現在まで文明という名で森林を伐採して生活を豊かにしてきたツケを今になって気が付いたのだ。これはたまらない。温暖化問題に関しては、ここ最近の200年が焦点になっているように見受けられるのだが、それは違うと思う。メソポタミア文明から既に環境破壊をやってきているのだ。
ちょっとソースを失念してしまったのだが、人間の作る社会は弥生時代程度の生活を行っていてもいずれ地球は人間の住めないものになってしまうらしい。そう、農業だろうがなんだろうが、自然酵母のパンを焼いて、無農薬、有機肥料で自給生活を行ったとしても地球環境を人為的に操作していることに変わりはない。
エコとかロハスとか、キーワード先行よりも前に考えることがあるのでは?
ネガティブなんだかポジティブなんだか良く分からない事をツラツラ書いてきたが、結局何が言いたいかといえば「人間本位の自然」と、「地球の活動」は別として考える必要があるのではないだろうか?という事だ。環境破壊なぞと称して煽っているが、その前に森を壊した後に人為的に植林する事もはたして「自然」だろうか。更に人間の住みやすい環境というのが、果たしてあるべき姿なんだろうか。
断っておくと、二酸化炭素削減運動をするべきだといっているわけではないし、植林をする必要もあると思う。なぜかといえば酸素と二酸化炭素のバランスを取る手段として有効な手段が今のところ植物にしかないからだ。気持ちの話をすると、私は森の景色や、土の臭いや、清流の流れなど大好きだ。それを愛でたいと思っている。だが、破壊だのなんだのをいう前に人間に必要なものが本来地球にとって必要なものかという根本の議論に戻る事は無駄な事だろうか。
私は人間だから、人間が住みやすい環境が一番良いという立場に立ってみよう。そうした場合、まず今の温度が上がり切っている状況で、現状の維持の温度が良いのか、それとも南国の島国位の温度が適当なのか、それとも北国の雪がある温度がよいのかその判断すらつけずにいる。
炭素を減らすだけだったら、人工ダイヤモンドよかどうなんだろうね。あれって炭素っしょ?